あいつは大学を中退しなかったからね。だから成功できてないんだよ


最近、誰かの結婚式に集まった友人たちの間で私の話題がでたようです。
確かに、私にコンプレックスがあるとしたら、それは大学中退をしなかったことです。
まあ、後から思えばなんですが、あの時に辞めてたらインターネットの黎明期に参入できました。


大学1年の終わり頃、当局から成績表を渡されて、それをサークルのラウンジで観ていたら、
お馬鹿な先輩から「お前、それ燃やしてみろよ」と言われ、
まあ燃やす必要もないし、どうでもいいので、お馬鹿が喜ぶならばと、燃やしてみました。


燃えカスを見て、このお馬鹿な先輩がいるような大学を出ても意味ねえなと思いました。
このままじゃあロックスターにもなれねえし、就職活動もしたくねえしともうっすら思っていたところでした。


それを同期に打ち明けると「せっかく入ったんだから辞めとけ」と説得され、結局大学4年までズルズルといました。
卒業した年がi-mode元年です。自分が起業するとき、もうすでにインデックスやサイバードは時代の寵児になっていました。


自分で決めたことを周りに止められ、それでも振りきれなかったというのは情けないものです。


冒頭の言葉を述べた知人は、以前、私にこういいました。


有名大学を出た人は、そのリワード(見返り)を求める。折角、○○大学を出たんだから、それに見合う人生を送りたいと思っちゃうんだよ。だから起業するよりも有名企業に入りたがるんだ」と。


ソシャゲーの大手で球団をももっている会社について、学生バイトから「あの会社は、東大枠ってのがあるらしい」と聞きました。
青学の人から見たら悔しい話ですが、ビジネスとして理にかなっているのだと思いました。


ブランド企業にとって、ブランド人材をとるのに効率がいいのが、ブランド大学生です。
(あえて、「一流」とか「優秀」という言葉を避けてみました。「ピッカピカ」と言い換えてもいいでしょう。)


受験ヒエラルキーは、トップ企業にとっては人材獲得のためには効率のいい手段です。
それを親もわかっているので、ご子息への投資を「受験」に集中させたがります。


実はこの記事、鬼頭さんの「中学受験は「120%親のエゴ」と、肝に銘じよ
を読んで、それに触発されて書いているわけですが、この古臭い受験勉強というビジネスモデル、ここに来ていろいろ歪がでてきてるなあと思います。


私はボンボンではないんですけど、母校は九段下にあるボンボン学校なんですが、
恩師と飲むと、いつも「給料が低い」と嘆いているし、
小学校から高校までの間の12年の間に、親の事業が没落したり、親が離婚して貧困になってしまったりと色々あります。

そもそも10年も安泰なビジネスなんてそんな無いですから、ちょっと成功したぐらいで、ご子息をお受験させるのは慎重になされたほうがいいと思います。



話を戻すと、企業のニーズと親のニーズが合致している受験ビジネスではありますが、
その仕組みは未来永劫としても、その受験勉強の中身が形骸化していて、その被害は学生にむけられたままだと思います。


パソコンがあるのだから、漢字なんか書けなくっていいし、
英単語だって翻訳すればいい、計算だってコンピュータにやらせればいい。


つまり、ほとんどの受験勉強がググってできるわけです。


受験勉強は、サッカーとか野球と同じ、あるルールに従ったスポーツの一部とわりきればいいですが、
ググる指の速さ」を競うものとなると、少し悲しいですね。


とはいえ、教職の人は進学スキルを教えることでしかお金にならない。
同級生にめちゃくちゃすごい研究者がいて、物事の本質を教えるのがうまい人がいるのですが、
そんな彼も学習塾で受験勉強を教えることで生計を立てているわけです。
本当は福沢諭吉みたいなことができる人なのに、世間が求めていないわけです。


崇高な学問を教えたいはずなのに進学スキルでしかお金にならない」というのはマジテンサゲです。


代ゼミが不動産ビジネスに変貌しているように時代は変わっています。
何かが変わらなくちゃいけないタイミングなんでしょう。


でも、未だに小学校の夏休みの宿題はつまらないドリルをやらせているようです。


私は祖母に「宿題はやっちゃいけん。」と言われてましたから、
答えを丸写しして夏休みも数十分の投資ですみましたけど、
ほとんどの人は無意味な苦行を強いられたと思います。


たとえば、算数のドリルなんかやめされて

<体育>イチローのスイングを再現せよ
<音楽>近年のヒット曲の傾向
<図工>ヒットしているラインスタンプの特徴とは?
<算数>どのゲームのガチャが儲かっているか?
<国語>近年のミリオンセラーの傾向
<社会>ドラマで視聴率を稼ぐ要因とは

みたいな宿題を与えた方が、本質的じゃないかと思います。


まあ、こんなことを20年くらいくどくど考えていたわけですが、
先日のIT道場の千秋楽で「MOOC」という存在を知り、これは時代が動くぞと思った次第です。
 

mooc




MOOCとは、2012年にアメリカで立ち上がった「オンラインの無料講座」です。
世界中の大学の授業が無料で受けられ、きちんと履修すれば修了証が発行されます。


このビジネスモデル、かなりインターネット的で、Free to Payの課金モデルが採用されたり、
大学のPR目的にされたり、あとは企業への人材斡旋で回収したりといろいろな試みがなされているようです。


受講生の立場から見ると、全世界の好きな授業が受けられる。
あの大学にいかないと、これが受けられないということがなくなります。


大学に行く目的は生涯の仲間を見つけることだよって言うなら、同じ科目の履修OBで集まればいいし、
いい企業に就職したいってことなら、その修了証をもって就活すればいいのです。


新しいカリキュラムだってバンバンできるでしょう。
LINEスタンプの講習会は大学ではやりません。
Schoo」が提供するかもしれません。


スマホゲームの講習会は専門学校ですらできません。
ならば「スマホゲーム道場」が提供するかもしれません。


ビールの注ぎ方」だって、「楽天での儲け方」だって、授業になるわけで、より本質的だと思うわけです。


その昔、慶應義塾ができたころ、カリキュラムなんかなかったと思います。
なにせ産業の勃興期なんだから、立ち上がる産業に合わせて授業を作るしかなかった。


だけど、それが形骸化して、大学のブランドだけが残った→つまらない授業しかない→今ココ。


最近、慶應や早稲田、法政なんかで、インターネットの起業家による授業が出始めて、
福沢諭吉時代の講義に戻るような機運がでてきました。


そこにきて、MOOCSの立ち上がりです。
前クールのドラマ「マザーゲーム」で、『格差を越える唯一の方法、それは教育だ』という名台詞がありました。
教育はお金のかかるものという前提で使われたセリフですが、もはや教育は無料で受けられる時代に突入してます。
さらにいえば、みんなと同じ教育を受ける必要はなく、科目はどんどん細分化しているわけです。
そこに上とか下とかはなくて、自分のやりたいビジネスにあわせてカスタマイズすればいいわけです。


また18歳〜22歳のときだけに受ければいいものではなく、学びたいそのタイミングで学べばいいわけです。
大学入学当初は不要だと思っていたのに、心理学とか、流通とか、著作権とか、訴訟とか、ビジネスをやりだすと知りたいことが突如やってきます。

教える人と教わる人、そして、そのタイミングがマッチしていないのが、「大学」というヤツです。
そういう自己矛盾が大学内でもわかってたのでしょう。MOOCSは教授や大学から産まれています。


Cousera」や「Udacity」はスタンフォードの教授が立ち上げました。
edX」はマサチューセッツ工科大学とハーバード大学により創立。


おもしろいのは日本の動きです。

gacco」はNTTドコモが提供。
OpenLearning, Japan」はネットラーニング社が提供。
OUJ MOOC」は放送大学が提供。


どこまで、大学当局は主体的になれないんでしょうか。
やつらは、学閥とか寄付とか女子大生とかテレビ出演とかで忙しいんでしょうか。


私の母校なんかNTTドコモに買収されて、「高田馬場駅の次はドコモ駅になっちまえ」って感じです。


 

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「なんとかサービスはまわっているんだけど、劇的に利用者が伸びない」
「リアルのビジネスをしているんだけど、ITを駆使して集客を改善したい」