スピリチュアルの世界では、

「自分の欲を満たさなければ、魂の目的も満たせない」という原理があります。


(これを否定する「スピリチュアル」もあります。私にとってはどうでもいいです。何を信じるかなのですから。)



これもまた合点のあう原理のように思います。




わたしの周りにいるIT業界の成功者の多くは、わりと強欲な方が多いです。


強欲だからこそ、隣であたったビジネスモデルを高速で研究し、パクリ返しをします。




そして、この裏でたくさん転がっているのが、理念先行型の起業家の数々の失敗劇です。


頭もいいし、人間的にも魅力的だし、数字にも強い人が、なぜか失敗するわけですね。


そういう人たちは、決まって、無欲なんですよね。


「お金のメンタルブロックがあるんじゃないか?」なんていう対象にされてしまいます。





でも、こういう説明もできます。



そもそも、彼らの作るサービスは、

「理念は素晴らしいし、一見とても良さそうに見えるんだけど、よく考えたらなくても良いサービス」
「理念は立派だけれども、そのサービスを浸透させるのに啓蒙活動が必要なサービス」


なんじゃないかと。


理念というのは、岩より硬いものですから、なかなか柔軟になれません。


市場がないのに、理念という起業家の自己都合のために、強引に道をこじあけようとしているわけですね。




ところが強欲な人は、まず自分でやれそうなビジネスからはじめます。

はやく、女と遊びたいし、ベントレーに乗りたいですからね。


彼らは、妥当な現実解を掘り当てようと無意識に努力しているとも考えられます。


これの度がすぎると、今度は、市場の衰退やら、市場の過当競争やらでしっぺ返しが来るわけですが。


だから、強欲の一方で、理念も大事、というバランスが必要なんですよね。




成長するまではブラック企業なのに、成長すれば採用コストや定着率の問題に直面し、そこからビジョンをかかげる企業もあります。


生き残ればこその「理念」というのが、実際の企業経営にはあります。




この順序、考えてみれば、自然のように思います。



子どもは、自分の欲に忠実です。


そのあとから、社会生活の生き残る智慧として、自分の欲を抑えます。


そして、自然にやりたいビジョンがうまれるか、ビジョンを道具として自分の承認欲求を満たすかどうかの違いですね。



ビジョナリー・カンパニーに、「偉大な会社ははじめから偉大だった。」なんて書いてあるから、なんとかして崇高なビジョンを打ち立てる方もいるかと思います。



一番いいのは、自分にとって違和感があれば、やらなければいいことのように思います。



今回は、「こうじゃなくちゃならい」っていうのは無しだよというお話を自分の経験からさせていただきました。


そもそも、ビジョンという用語がくだらないです。


ビジョンという言葉があるために、そのポジショントークじゃないかと勘ぐられるだけです。



「ベントレーが欲しいし、今の金融インフラをぶっ壊したい」で、いいんじゃないでしょうかね。





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