ビジネスの基本は「高く売る」「大多数に売る」「ゼニがあるところから取る」の3つにつきるようですが、売り方についてはおおよそ4つのモデルになるようです。







1.レイザーブレード型
重要派生品に高い利益率をかけるやり方です。ジレットのカミソリですね。
プリンタ、ゲームコンソールなどもそれにあたります。
ソニーはバイオでは様々な付属品を売らせるアクセサリービジネスをやりました。
その一方でメディアの標準規格である、フロッピーディスク、CD、テープは、他のメーカーの商品にも活用されることで儲けました。
枝葉が生い茂ることによる利益の極大性とうらはらに、幹のコスト割れや標準化のリスクがあります。


2.メンテナンス型
高価な品物を割賦販売することで継続的コンタクトをとる方法です。コピー機やケータイ、ソフトウェアなど。ユーザの負担が軽いというメリットの裏を返せば、供給者負担のデメリットになります。


3.前払い型
パスモ、スイカ、i-tuneカード、コンテンツ配信など。キャッシュインがメリットだが、低価格低利益なので、マスを相手にしないと儲からないのと、管理コストがつくところが問題です。


4.民営放送型
収入源と効用の受け手が違う。いわゆる広告モデル。テレビ、インターネットでお馴染みの手法であります。実は結局は消費者に負担させているが、彼らから見ればタダにみえるところがポイントになります。
問題点は母集団が大きくなければ意味がないところです。



以上4つのうち、最初の3つの特徴は、うまく「囲い込み」がされているということになります。



1回のチャンスで2度以上楽しんでいるのがビジネスモデルの古典的手法でした。
かつての企業はどうやって囲い込みをすればいいかだけを追求すればよかったのです。
そして4つ全てに共通していえることは、サプライヤーモデルであること。
コンシューマーに一方的に押し付けています。彼らが勝手に作ったスタンダードにユーザはついて来れていたのです。


しかし、もはやユーザはインターネットやケータイという武器を手に入れております。
これらのビジネスモデル自身はまだ参考になりつつも、ユーザープロファイリングをもっともっと詳細にする必要が出て来ているといえます。


そこで2つのヒントがあります。


1つめは、コスモポリタリズム。
地球人としてそれぞれの生き方にリスペクトしようというものです。
ヒップホップの大衆化。黒人初の米国大統領、ルイジアナのインド系州知事。
かつてのアメリカでは考えられないことでした。
差別社会が現存するにせよ「自分の子供が結婚する訳でもない限り合理的にいい判断をしようぜ」という傾向にあります。


オタク文化はまさにそうですね。秋葉原にたむろするアロハシャツ。昔はキモかったはずです。
普段は清楚なOLなのに、家に帰るとベットの中でケータイ小説。男同士が絡み合うBLを読みあさる腐女子。
キモいはずなのに「別にいいじゃん」と受け入れられています。
もはやスタンダードは彼らが作っているのです。


でも冷静に考えてみれば、彼らも何らかの消費経済に巻き込まれているわけです。
今までよりもちょっと賢い企業が、一見彼らにお伺いを立てているかに見せてスタンダードを作っているのかもしれません。
一回このプチマスに入り込めば後はいつもの通りの衆愚政治です。


2つ目のヒントは、人のためにお金を出すという「関係性の消費」。
例えば「孫に好かれる生き方」という文脈でのサービスになります。
今までの広告は自己消費のために力を費やして来ました。
しかし消費者は、友人や家族、恋人に、何を買って上げればいいのかわからなくて困っているといいます。
企業は特定の消費者のことには詳しいのだから、その人の友人や家族にとってはいいパートナーになり得ます。



さて、インターネット事業のビジネスモデルについて考えてみます。


インターネットは、旧マスメディアのメディア接触時間を窮地に追いやりました。
テレビ、出版、新聞、ラジオ、すべてのマス媒体は時間を売っておりました。
広告接触頻度という単位におきかえて。
インターネットやモバイルのおかげで消費者の受け取る情報量は数百倍に上がりました。
マスメディア陣営は接触時間の微減よりもこの劇的変化を憂いました。


一方で、その駆逐者であるインターネット陣営も自らの首をしめているのに気づきませんでした。
露出数やクリック数といった単位で、ようするに時間を売ってしまったのです。
テレビや雑誌、新聞などのマスメディアと同じ運命にさらされているといえます。


ヴィトンやメルセデスは、お金持ちさえ捕まえればいくつでも売れます。
しかし、インターネットはどんなに頑張っても24時間しか人を縛ることしかできません。
せいぜい3時間が限界です。単なる広告でどれだけの価値がでるのでしょうか。
まるで駐車禁止の違反金のように上限が見えているであります。



これからのネット事業は「コンテンツ性」が重要になると松永氏は言いました。
もし、そうであるなら、旧マスの方が潜在的に強いことになってしまいます。
今までのマスメディアで出来ない「コンテンツ性」というところがポイントなのでしょう。


モバイルはコンテンツを視聴する「メディア」というよりも、体験をともなう「ツール」であります。
私たちの目指すコンテンツはそのあたりにありそうです。
「時間」から「体験」にパラダイムを変える時が来ているのでしょう。



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また、中小ベンチャーのジレンマである「受託と自社サービス」について2つの視点の提言がありました。


●モジュール化
受託はクライアントからのヒントを貰うチャンスにしよう。
ひとつの仕事を再利用可能なものにすることをモジュール化といいます。
モジュール化が進めばコストが下がり、戦略を立てることにより新しいビジネスへの一歩となります。
どんな仕事でも、二度以上、楽しめるかという視点でとらえるべきです。


●グリップ力とビジビリティ
サービスの流れの川上と川下を考えたとき、川上ではグリップ力が必要で、川下ではビジビリティが必要です。
ともに両側に振り切れれば事業化(フィジビリティ)は容易くなります。
簡単に言えば、ユーザーには明確なものを提示するビジネスか、商売の源をおさえている所の懐に入り込むビジネスがどちらかです。
中間地点では互換性が必要でなかなか商売にならないというわけです。



(松永良輔氏「コアを誰にどう売るのか? ビジネスモデルの構築。」の講義録)



【1話から読める20話完結のステップメール】
「なんとかサービスはまわっているんだけど、劇的に利用者が伸びない」
「リアルのビジネスをしているんだけど、ITを駆使して集客を改善したい」