いまだにケンさんの作品を知らないあなたに、隠れ高倉健マニアの私がこっそり珠玉の名作を教えます。
何しろ高倉健の出演作品は205もあります。ビートルズが213曲ですから、今更全部見ることは不可能です。というわけで20作にしぼりました。これであなたも明日から高倉派です。


狼と豚と人間
 


1964年、ケンさんが33歳の作品。なんと三國連太郎と北大路欣也とで3兄弟をやります。
全員がずっと映画業界を牽引していくわけですから、東映の人材発掘能力が流石でございます。
そして、亡くなる順番も兄弟順でした。
任侠映画に身を通じて2年目ですから、ここから10年間はヤクザ映画と付き合うことになります。



現代任侠史
 


1973年の作品。奇しくも同じ東映から「仁義なき戦い」がスタートした年です。
東映の幹部から「鶴田浩二も高倉健もしばらくやめや」といわれ関係が悪化します。
そして「このまま東映にいたら、ヤクザ役しかできなくなる」と思ったケンさんは1976年に東映を退社します。
そういう転機になった作品ですからマニアは抑えておきたい作品です。



新幹線大爆破
 

 
1975年の作品。「スピード」の元ネタになった作品であります。
日本でもハリウッドのような作品をということで作られたものの国鉄からは協力をうけられません。
興行は苦戦して、海外で大ヒット。これが逆輸入となり名作扱いとなっております。
サブカル界では誰もが知っている名画であります。



君よ憤怒の河を渉れ



 
 1976年の作品。ツェッペリンで言えばプレゼンスのあたりですね。
まさに「アキレスの最後の戦い」のような緊張感で臨んだ松竹映画です。
ケンさんは44歳にしてサラリーマン俳優から独立の道を選んだわけでございます。
この作品は中国でも年配層に知名度が高く中国人の半分が見たとも言われております。
文化革命後に外国映画に飢えていた中国人がまさに待っていた作品だったのです。



幸福の黄色いハンカチ 

 
1977年の作品です。なんと渥美清と高倉健が一緒に出ております。
しかも監督は山田洋次。山田洋次はこの二人がもっとも偉大な俳優だと言っております。
一般の高倉論ではこの作品が脱ヤクザ映画の決定打になったとかになってますが、すでに脱却をしてたのは先の2作品のとおりですし、十二分に名演技を揺るぎないものにしております。
ぜひ最初のシーンを見てください。ビールを飲んでカレーライスと親子丼を平らげます。
ケンさんはこの撮影のために2日間、食事を抜いております。不器用な人間じゃあつとまりません。
あ、醤油ラーメンとカツ丼でした。

 

八甲田山


1977年の作品です。吹雪の中で立ち往生しているシーンは、足あとを消すために4時間吹雪の中を待っていたという伝説が残っている名作です。1964年の時と同じく三國連太郎と北大路欣也と一緒に主演をはります。「天は我々を見放した」という言葉が流行語になりました。クラプトンでいうとスローハンドあたりの作品です。



野性の証明


1978年の作品です。森村誠一が角川春樹の依頼により映画化の前提にした原作を書きます。
書籍、ドラマ、映画のメディアミックスの走りといえましょう。薬師丸ひろ子もさりげなくここで仕込まれております。ここからのスタートで3年後に「セーラー服と機関銃」ですから天晴です。
なお、薬師丸はケンさんの忠告を聞いて大学への進学をしますから、こちらも天晴です。
またケンさん映画にありがちな、「防衛庁の協力をうけられなかった作品」でもあります。



駅 STATION

 

なんで英語の訳語が続いてるんだよと野暮なこたあ言っちゃあいけません。
1981年の作品です。 鉄道員の話かとおもいきや警察官の物語です。
高倉健といえば北海道が似合います。マニアの間では「黄色いハンカチ」「鉄道員」と「駅」が、北海道三部作と呼ばれております。
ちなみに、この作品は「北の国から」の倉本聰が脚本を書いております。
そうそう、1981年は「北の国から」が始まった年なのであります。



南極物語


興行収入110億円、なんと製作総指揮は日枝久。
これだけ儲けたんだからそりゃフジテレビの社長になりますよって感じの作品でございます。
テレビ局が映画を作るという流れはここから始まりました。
黒澤明の「影武者」の記録を塗り替えるわけですから、テレビの宣伝力ってのはすごかったわけです。
そうそう、1983年はまさに映画業界がテレビ業界に屈する年だったのです。
すでに日活はポルノをはじめて12年が経っているわけですが、この年はトドメが刺されたわけです。
しかしながらケンさんは、死ぬまでほぼ映画にしか出ませんでした。
お母さんに自分の姿を見せて安心させたいという理由でテレビドラマは4作品だけでています。
あとはビストロスマップぐらいです。




夜叉


ケンさんといえば「自分、不器用ですから」です。
このフレーズは1984年のニッセイのテレビCMに生み出されました。
だから「不器用」なケンさんは1985年の「夜叉」からはじまっているのです。
なお、ビートたけしが出演しております。
1981年の「戦場のメリークリスマス」で大島渚からその才能を見いだされるわけですが、この作品ではちょい役。でもなかなかの存在感です。
北野武の映画監督作品は1989年からスタートします。
こんなタイミングの作品ですから、マニアの中では重要視されているわけです。
 


あ・うん

 
1989年の作品です。1989年といえば昭和天皇が崩御された年です。
もともと向田邦子原作のこの作品は1980年にテレビドラマでやっていたわけですが、1981年の台湾の墜落事故で向田邦子が亡くなり続編が中止になりました。 



ブラック・レイン

 
1989年の松田優作の遺作となった作品です。
60億円もの制作費をかけて200億円を回収わけですから立派です。 

ここでファンからのコメントを紹介。

若い頃松田優作に憧れた一人、もちろんこの作品は観ています。
松田優作に高倉健、今となってはもう天国でしか実現しないマッチメイク、二人。。いやその他の俳優も含めてかなり濃いキャスティングになっています。

松田優作ってここまで凶暴な役ができるんだと思うのと同時に、マイケルダグラスと高倉健の二人の関係がいいですね。
言葉少なに強い意志を持つ役柄も健さんだからこその奥深さが感じ取れます。

それまで健さんは主役でしか観たことがなかったのですが、この一本はあくまで松田優作が主役です。
健さんの準主役としてのオーラが成立するところにむしろ松田優作の存在感があるような気がして、結局二人とも名優だからとしか言い様がない気がしてしまうのです。

健さんの映画でベストを一本選ぶのは難しいですが、やっぱりこの作品も候補には挙がりますね。
マイケルダグラスとの別れのシーンは特に好き、松田優作の凶暴さから解放された後だけに安心して泣けます。



ミスター・ベースボール

 
1992年の作品です。1996年に野茂英雄がノーヒットノーランを達成したわけですから4年前ですよ。
野茂英雄が2001年にもノーヒットノーランをやります。すごいですねえ。
ファンからコメントが届きました。


野球好きにはたまらなく楽しい作品です!!
トレードで中日ドラゴンズにやってきた元メジャーリーガー。はじめはチームメイトや監督らとことあるごとに衝突しますが、やがて改心し、素晴らしい成長を遂げていく物語です。
話の内容について細かいことをいうと、主人公が改心するまでの心の描写が少なく、あっさりしすぎているかな~と思うのですが、映画の限られた時間枠の中ではしょうがないのかもしれませんね。
中日監督の高倉健のユニフォーム姿はなかなかカッコイイし、トム・セレック演じる主人公のCM出演シーンはかなり笑える。
この映画に関しては、話の内容そのものより、90年代のプロ野球の雰囲気を感じることができたのが何よりもうれしいし楽しい!!
ナゴヤ球場のスタンドにキラキラと舞う紙吹雪を見ながら、「あぁそうそう、昔の球場ってこういう雰囲気だったよね」って懐かしさが込み上げてきて、わけもなくジーンとしてしまったり。
なつかしの選手応援歌を聴きながら「ゲーリー!ゲーリー!ホームラン~♪」って思わず歌ってしまったり…たしか巨人の岡崎の応援歌も流れていたような…
試合のシーンでセ・リーグの各球団が出てくるので、当時の各球団のユニフォームなども懐かしかったです。なぜか阪神だけは出てきませんが…
とにかく、野球好きな人は文句なしに楽しめる作品だと思います!
野球に興味がない人にも、ちょっと懐かしいあの時代の空気を感じてほしいです!
 


忠臣蔵 四十七人の刺客

 
1994年の作品です。大内蔵之介がケンさんですが、石倉三郎、宇崎竜童、岩城滉一など、なんだかヤクザ映画っぽいキャストです。 「日本映画誕生100周年記念作品」として東宝の威信を賭けた作品だったそうです。当時はいろいろ酷評されていたようですがだからこそ高倉派の我々は見るべき作品なのです。



鉄道員(ぽっぽや)

 
1999年の作品です。ケンさんが68歳のときです。
この作品をケンさんの最高傑作という人もいるくらいだから、人生は70まで諦めちゃいけませんね。
19年ぶりの東宝復帰作の大ヒットのおかげで東宝は、1997年の「北京原人」の損失をカバーしたと言われております。ケンさん、「北海道にも東宝にも恩返し」の巻となりました。


ホタル


2001年の作品です。ケンさんも70歳になりました。
ケンさん映画には田中裕子がよく出てきます。
日本アカデミー賞で最優秀男優賞にノミネートされたときに、「後輩の俳優に道を譲りたい」といって辞退します。

韓国と日本という2つの国の人々が、戦争というもので心が離れてしまった心を見るような映画です。日本人として戦争で共に戦った韓国人の家族に、遺品を渡しに行くという重い役目を担った高倉さんの姿が気の毒に思います。
その亡くなった韓国人と自分の妻が、付き合っていたという部分も、その妻を愛する男の複雑な気持ちが伝わってきます。笑顔の可愛らしい田中さんが演じる妻の姿も健気で、そんな妻を愛する夫の感情を、高倉さんが上手く演じています。
できれば、過去を知らなければ、その幸せな生活を送って終わったかもしれません。でも、彼がその役目に選ばれたという部分が、この映画では重要なところです。高倉さんの心境の変化の演技が深いと思う映画です。

あなたへ

2012年、ケンさん81歳の遺作です。
田中裕子は故人としての配役、でも57歳なんですよね。
もう一作とる予定だったそうですが、最期の作品にふさわしい物語でした。
「私はハトになりました」というセリフで締めくくりです。
映画業界の後輩たちに「ハト」となって「映画俳優たる人生」を伝えた張本人ですから。

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