国家資格には、独占業務というものがあります。
たとえば、弁護士の独占業務は、法定代理人になって裁判所で訴訟をおこせる権利ですね。
いくら、訴訟にくわしくても、弁護士資格がないと、法定に代理人として立つことはできません。
なので、裁判を起こすときは、仕方なく弁護士を雇わなければならない側面があります。
一方で訴訟リスクに関する助言は、誰でもできます。
しかしながら、誰でもといっても、信用ならないから、弁護士資格を持っている人に託した方が妥当なわけですね。
では、独占業務のない資格ってなんの意味があるのでしょうか?
スキルとかサービスの質を、第三者機関から認定されるということですね。
この話をするとき、私はついつい、信長の茶器を思い出します。
鎌倉時代が滅亡したのは、北条家が元寇の時に貢献した御家人に土地を与えられなかったことにありました。
信長は土地をあげることの限界について、知っていたわけですね。
それが、御茶会を開くことができるという「名誉」でした。
「執行役員とか、取締役というのは茶器にすぎないんだよ」なんて茶化してつかわれていますよね。
で、転職する際に、履歴書の保有資格欄にたくさん書く人がいるわけですよ。
それを見ている方の採用担当は失笑するわけです。
「そんなのうちの業務に使うかよ」と。
本人としてみれば、すこしでも、自分をよく見せたいわけですね。
コンプレックありありなわけですよ。
それが、周囲の人からバレバレで。
という感じで、一般の人々に思われている「茶器」がたくさんあります。
もう一方で、資格の話をすると、「免罪符」というビジネスモデルを思いつきます。
こちらは、お金を出せば、来生は幸せだよってやつです。
アメリカ発祥の自己啓発系や、スピリチュアル系はこのビジネスモデルがさかんのように思います。
「なんちゃらと技法のプラティクショナーになるためには、セミナー受けてね!」
「50万円するけど、あとで儲かるだからいいよね。」
「50万円払って、勉強してくれたから資格をあげるね。」
っていう感じのビジネスモデルです。
大金を払って資格をとったから、この資格を自慢しないともったいないわけです。
そして、この資格取得にかかったお金をもととろうと思いっちゃうわけです。
お金と時間をたくさんかけると、埋没コストという「折角ここまでお金をかけたんだから」という心理効果がはたらき、焦ってきます。これは詐欺師の使うテクニックでもあり、パチンコで当てた玉を全部吸い取られる構造でも説明できます。
あせるわけですよ。
そのあせりがみえるわけですよ。
そうすると、冷静なお客さんは、逃げていくというわけです。
あるスピリチュアルの方が、コロコロ商売方法を変えていたり、
あるネットワークビジネスの方が、やっぱり商材をコロコロ変えてたりします。
何をやっても、うまくいかずに、隣の芝生は青そうだということで島を変える人がいる。
それをわかっているから、免罪符ビジネスは循環するわけですね。
「わかっちゃいるけど、やめらんない」というビジネスなわけです。
今回は、資格についてお話しましたが、資格ではなくても「専門分野」についても同じ傾向がいえます。
「なんでもできます。」ってやつですね。
それだと、「なんでもできるということは、何もできない」と思われてしまうわけです。
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