スピリチュアルの世界では、「同じ目的でやってきた魂は、ともにひかれあう」という原則があります。
「突然の出会い」も、これで説明されます。
これは、なかなか、言い得て妙だなと思いました。
「魂」という言葉でまず私が、連想するのは、西南戦争です。
中学、高校と靖国神社の前を通って、通学しておりましたので、魂というと靖国神社を思い出すのです。
靖国神社が西南戦争で散った武士たちの魂を鎮めることが始まりだったことはあまり知られてません。
魂を封じているのは、大村益次郎ですね。
新しい社会になり、侍の居場所がなくなったことを悟った武士が田原坂に集まったわけですね。
真田丸でも、「もう俺たちが必要のない時代がくる」といった論点が描かれてます。
「秀吉が死んだら、この世はまた乱れる」なんていう親父の言葉に、息子は「もうたわ言はおやめください」と諌めるシーンがありました。
全国の武将が、関ヶ原という場所に集まったのも、魂がひかれあったのでしょうし、
その合戦が一瞬で終わり、乱世に戻らなかったのも、その魂たちが「太平の世の中」を心から望んでいたのでしょう。
太平の世の中になると、感じていたからこそ、最後の大戦に「死に場所」を求めて集まったのが、田原坂であり、関ヶ原だったんじゃないかなと思います。
さて、私がもっともスピリチュアリティを感じざる得ない現象は、鎌倉幕府の滅亡劇です。
きっかけは、群馬県の世良田というところの徴税に反発した、一御家人の謀反でした。
新田義貞が、生品神社で挙兵したのはたった150騎です。
それがあれよあれよと7000の大軍になります。
迎え撃つ北条方は10万騎。
新田義貞軍は、分倍河原の合戦では一度、撤退しています。
しかしながら、新田軍は最終的には20万騎になっていました。
鎌倉幕府を滅亡させたのは、新田義貞ですが、結局天下をとったのは足利尊氏でした。
新田義貞の拠点が群馬県太田市に対して、足利尊氏は栃木県の足利市。
わりと近所だということも、何かの因縁を感じないわけにはいきません。
もしかしたら、群馬県太田市が首都になっていたのかもしれないのです。
結局、足利尊氏は京都に行くので、栃木県が首都になることはありませんでした。
なお、余談ではありますが、松平家康は、官位を受けるために、先ほどあげた世良田の得川氏の末裔だと称しました。
近所の魂といえば、松下村塾に集まった人たちですね。
みんな、すごい近所に住んでたといいます。
町内会のみんなが、天下をとっちゃったみたいなものです。
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