前回は、結局、強欲な人が成功しているというお話をしました。
一生懸命「あり方」を考えている人にとっては、にんともかんともな内容でした。
でも、ひとついえるのは、強欲な彼らは素直で自分に忠実だったということです。
理念やら「あり方」を考えていても、それが真実か、それが本当にお客さんのためになっているのか、なんてわからないですからね。
では、その落とし穴について、お話します。
個人経営者や、小規模経営者が、理念たかきビジネスをやっているとします。
まず、コストがあいません。
大手企業は、市場のニーズにあわせて、外注コストや社員のコストをどんどん叩きます。
ブラック企業の多くは、人々に受け入れられているからこそ、やり続けています。
これじたいの「あり方」がどうなんだよ。
といいますが、そういう人たちが、日本にいるのだから仕方がありません。
つまり、大企業のやるビジネスに対して、理念で対抗するには、それなりのコストがかかるわけです。
そのコストを払えて、しかも理念に賛同してくれる小さなパイに対してビジネスをしなくちゃいけないわけですね。
「啓蒙」にもコストがかかります。
いま目の前のお客さんからコツコツとやっていくしかありません。
次に、クオリティです。
いくら考え方が素晴らしくても、結局個人経営の限界で、結局、大手のやっていることを同レベルであれば、意味がありません。
そうすると、理念の「宗教力」だけに頼る経営になります。
ワクワクしましょう。キラキラしましょう。みたいな怪しい言葉で身をまとうことになります。
こういう現実があるから、「大手の安心感」が人々の潜在意識に刷り込まれているわけですよね。
まずは、この逆境をきちんと理解しないと、前に進めないと思います。
コストで勝負しちゃいけないし、質で勝負してもいけない。
そして、理念という宗教じみた御呪いは、人にかえって怪しまれる。
じゃあ、どうすればいいんじゃないかというわけですね。
大手がやらないことをやるしかないです。
大手がやれない付加価値ですね。
それでいて、他の個人にもない競合差別性ですね。
私なりの答えは、そういう現実を意識することだと思います。
脳天気な方が多いですもん。
「自分は自分ですから」なんていって、他を見ないんですもん。
大手であろうと個人であろうと、お客さんにとってどうでもいいこと。
でも、おんなじようなサービスなのに、お金がかかることに対して説明がつかなければお客さんは逃げていきます。
もし、何らかの恩義をうけたお客さんだったら、少々高くても、あなたの商品を買い続けると思います。
だって、恩義がありますからね。
日頃、息子がお世話になっているサッカーのコーチが、保険の営業マンだったら、その人から買いたくなります。
その人だからこそ、自分の収入やら将来の不安を吐露できるし、そういう切実なリクエストにはコーチも本気で答えるでしょう。
こうやって、サービスというのは成り立っているのだと思います。
へんてこな理念がなくても、こっちの方がビジョナリーです。
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